Tokyoの話をしよう

東京から離れてふと感じるのは、自分が東京という街にいながら、東京のことを何も知り得ていないのではないかという不安だ。もちろん、東京に住み慣れれば慣れるほど、自分の行動範囲も広くなり、知り合いも増えていく。しかしそれでもなお、どこからか「自分の知っている東京はほんの一部なのでないだろうか」という思いが沸き上がってくる。

 東京とはいったい何なのだろうか?そんな思いが僕を写真へとかりたてる。東京の名もない街角に、あるいはふとたたずむ人の姿に僕はレンズを向ける。たとえそこにあるものが価値のないものであったとしても、それは紛れもなく東京という街の一部なのだ。それが一部であるゆえに、少なくともそれは僕を安堵させる。しかし、その安堵はほんのつかの間だ。しばらくすると再び自分の中に不安が舞い戻ってくる。

 いつしか僕は東京を巨大な身体であるように感じるようになった。自らの身体を拡張したいという個人の欲望を、東京の街は吸い上げてしまうのだろうか。ひとたび飲み込まれた魂は東京の街から離れようとはしなくなる。

 東京の街は他の街よりも便利だから、仕事があるから、知り合いがいるから、理由はいろいろとつけられるけれど、自分が東京の街から出ようとしないのは、東京という巨大な身体を持ったがためなのだ。