小石川後楽園にて

anotherwork2006-12-02

 小石川後楽園で撮影しているときだった。池の前に置かれたベンチに一人の女性が座って、ぼんやりと池を眺めている。私はその女性が立ち去ってから撮影しようと、しばらくの間待っていた。しかし、その女性は立ち去るどころか、遠くにまたがる池を見つめたままである。仕方なく私は撮影をはじめた。池を眺める人が写りこんでいる方が、ひょっとしたらいい写真になるかもしれない、などと思いながら。
 しかし、シャッターを押しはじめると、今度はその女性がうつむきはじめたのである。
「どうして池を眺めないのだろう? 眺めてくれていたら、いい写真になりそうなのに。」
 私はそんなふうに惜しみつつ、何度かシャッターを切った。

 数日後、そのときの写真が出来上がって、私は驚いた。私がその日、小石川後楽園で撮ったどの写真よりも、女性がうつむいている写真が最も出来がよかったからである。

 女性がうつむいたとき、たしかに「池を眺める人」というモティーフは消えてしまっている。しかしながら、その瞬間、この女性が現在、何かに行きづまり、迷い悩んでいる姿が浮かびあがっている。写真には、そうした女性のやるせないペーソスが全体に漂い、風景に溶け込んだ一人の人間の姿が写っているようだ。

 最近になって、私も「写真とは何だろうか」と考えるようになった。そんなとき、ああでもない、こうでもないと悩みつつ、この一枚の写真を眺めることになる。
「この女性には何があったのだろう。そして、今何を想い、今どんなふうに生きているのだろうか。」

 あれからもうしばらく時が経ったが、この一枚の写真は飽くことなく私を惹きつけ続けている。



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