ポビーとディンガン

anotherwork2005-12-07

ポビーとディンガン 恵比寿ガーデンシネマ

妹のケリーアンにはポビーとディンガンという友人がいる。だが、実物は誰にも見えないので、ケリーアンは周囲から「空想好きの少女」とみなされてしまう、、、、、、。

そんなケリーアンの姿を観ていてむしょうに切なくなってしまうのは、私が子供の頃に、あんなふうに夢見がちなところがあったからだろうか。

ありもしない空想のキャラクターを自分で作り上げて、それに勝手な想像をふくらませて、無邪気に楽しむ。子供の頃には、一人でよくそんなふうに遊んでいたような気がする。

そのせいか、ケリーアンが必死にポビーとディンガンを探してほしいと兄のアシュモルに訴えるシーンは、まるで昔の自分自身を再現しているかのようだった。

私もあんなふうに、ありもしない何ものかを誰かに信じてほしかったときがある。現実だけでなく、想像上の世界も、人間にとっては同じように大切なことを誰かにわかってほしかったのだ。

だが、今はどうだろう?
あのころは大切にした想像上の世界を、私はどこか軽んじてはいないだろうか、、、、、、。


物語の後半に出てくる弁護士のセリフには、「ケリーアンにとっては、ポビーとディンガンは現実だった」というものがある。

「たとえ他の人々に姿は見えなくても、その人にとってはかけがえのない存在であることにはかわりがない」という意味だが、今の私には、その言葉が妙に重く響いたのだった。