答えはない

私たちは小さい頃から答えがあることに慣らされている。だから、ついつい問いには必ず答えがあり、その絶対的に正しい答えを出さなければいけないと思ってしまう。

だが、「答えが必ずある」などということは、すぐに幻想的な神話に過ぎないことを思い知るだろう。

私たちは、ある日突然、自分が岐路にさしかかっていることに気がつく。右の道に進んでもよいし、左の道に進んでもよい。どちらが正しいというものでもなく、どちらに進んでもよいのだ。

そのとき、私たちはどうやって自分の進むべき道を選択するのだろうか?絶対的に正しい答えは、常識からは出てこない。だから、自分にとって正しいと思われる答えを自分で作り出さなければならないのだ。

自分は本当に何がしたいのか?自分自身に合っていることとは?そもそも「自分」とは何か?

そうやって人は悩み、苦しみながら歩んでいく。ときには正しいと決断できないままに次の道を選択しなければならいこともあるだろう。だが、それでもその道はやはり自分で選択した道だ。そして、さ迷いながらも選び進んできた道が、やがてその人だけのかけがえのない人生となる。


同じようなことは創作する上でもいえるかもしれない。私たちが何かを創作するときには、実に多種多様な方法がある。同じような作品を創りあげたとしても、よく見るとその創作方法は異なっている場合が多い。また同じような作品でも、一つの作品を創るきっかけとなったことをくらべれば、両者はまったく異なる出来事がきっかけになっていることに気づくだろう。

創作する上で、絶対的に正しい道などどこにもない。だから、何かを創作しようとする人は常に暗闇の中で手探りすることを強いられる。本当にこんなことをしていていいのだろうか?こんなことをしていて作品が完成するのだろうか?そもそも自分は何を創りあげようとしているのか?

あるときには作品がなかなか完成しないことにあせり、またあるときには、ひたすら作品を創る方法に悩む。だが、人生にも絶対的に正しい道がないことを考えれば、むしろそれが自然なことなのかもしれない。人は常に悩み、苦しみ、さ迷いながら一つの作品を生み出してゆく。そして、その作品がその人にとって、かけがえのないものになるのだ。


人生も、創作も、絶対的に正しい道はどこにもない。私たちは常に悩み、苦しみ、さ迷いながら、自らの道を歩んでゆく。その歩みに一点の非もないことは明らかだ。なぜなら、答えはどこにもないのだから。