50ミリレンズで撮るということ

一番最初に買った50ミリのレンズ。最も標準的なレンズと知りながら、それほど使うことはなかった。

そもそも50ミリというレンズは人間の視野に近い画角とされているが、写しだされる被写体は撮る人間の明確な対象に限られる。その結果、写しだされる対象は「ねらい」と同一化することになる。これは広角レンズと大きな違いだろう。

広角28ミリを常用していると、大きな建物や広大な風景も写し込むと同時に、それ以外の予期しない対象物を写し込むことがある。広角レンズは撮影者の予期することのない偶然性を内包しているのだ。しかし、広角レンズはただ漠然とし、混沌とした景色を形成しやすい。そこには何が対象物であったかさえ分からなくなる危険性が潜んでいる。だからこそ、広角レンズを常用する者は、ときどき50ミリレンズを使用する必要がある。撮影する意図を明確にし、もう一度基本的な画面構成を再生するためにも。

50ミリレンズは、偶然から得られる画面構成を排除する。その写真には、純粋な撮影者の意図が表現されているのだ。それゆえ50ミリレンズで撮るということは、ある意味でやさしく、反面きびしい苦難を強いるものでもある。だが、50ミリレンズは撮影者に苦難を強いる一方で、最も現実に近い、生々しい写真を生む可能性を秘めている。50ミリしか使わないと決めている人は、その事実を誰よりも理解しているのだろう。