旅の必要機材について

今回の旅を通して自分に必要な機材はよくわかったような気がする。

カメラはいつも使い慣れているものが一台。自分の体の一部になっているものでなければならない。そして、それはぶつかったり、激しい風雨にさらされてもびくともしないような頑丈なものがいい。その点で、できればフルメカニカルシャッターを備えているものがいいだろう。理想としては、やはりニコンのFM2やF2だろうか。今回は電子式シャッターを搭載しているFE2で困ることはなかったので、このままFE2を使い続けてみるのもいいかもしれない。予想以上に強固で、電池が長持ちし、故障が少ないカメラだった。

レンズは広角28ミリ、標準50ミリ、望遠100ミリがのぞましい。今回の旅では広角28ミリを多用し、ときどき20ミリを利用したが、やはり標準50ミリを持っていっくべきだった。Ais50ミリはf値が1.4と明るく、夜間での撮影でも多用できただろう。ふだんあまり使うことがなかったので、持っていくのをやめたのだが、大きな失敗であった。50ミリは、人間の視野にもっとも近いと言われており、ねらったものを的的確に写し込むにはもっとも理想的な画角だ。ふだんから練習し自分のものにしていれば、もっといろいろなものをきちんと写せただろう。悔やまれる選択だった。

楠木亜紀 写真展を歩くマーティン=パー写真展

マーティン・パーは、消費社会の文化をシニカルな視点で追求した写真家。彼のカラー写真は、安っぽいプラスチックの原色の色彩や、合成着色料の食べ物の色彩、リゾート地を演出するけばけばしい色彩をとらえ、その日常の凡庸さにしたたかな鋭い視線を向けているという。

そのパーについて楠木亜紀は、本文の最後で「シニカルさ」よりも、彼の写真が当時の広告やファッションに結びつき、積極的に自己の作品に取り入れえたことを指摘している。

しかし、たとえそうであったとしても、彼の写真が消費社会という巨大な社会構造のなかで創作され、彼自身もまた消費社会の一員として生きていたことは否定できないだろう。彼のもつ「シニカルさ」とは、むしろ彼自身への皮肉であり、同時に社会全体へのアイロニーという二重の構造を内包したものだったのではないだろうか。

ファッションもまた消費社会というひとつの社会構造から生み出されたものに過ぎない。いかに彼が社会にのみこまれずに自らのオリジナリティーを築こうとしても、結局は消費社会の産物へとなってしまう。

マーティン・パーの写真は見事に70年代のアメリカを写しとっていると言えるだろう。それは消費社会が歩んだひとつの時代の軌跡として評価できる。しかし、それ以外にわれわれはパーの写真にどのような評価を与えればいいのだのだろうか?

それはアートであり得るか?それとも時代を反映したファッションの歴史、広告の記録としての価値があるのだろうか?
パーの評価に判断がつかなかったとき、われわれは決まりきったように「シニカル」という言葉を使うだろう。結局、彼への評価はそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

写真 随想 (2)

anotherwork2007-04-09

凛とした空気が辺りを包み込む中、ライトアップされた古めかしい建造物がある。その前で、腕組みをしながら立っている一人の男。彼はいかめしい顔をしながら、じっと何かを待っているようだ。

情緒も華やかさもなく、ただ冷たく無表情な風景。これもまた都会の顔の一面であることは紛れもない。

写真 随想 (1)

anotherwork2007-04-07

写真は夜の銀座、西武百貨店前で撮影したもの。中央に写っている女性は、これからショッピングでもするのだろうか。それとも、通路を通ってそのまま帰宅の途につくのであろうか。いぞれにせよ、女性の後ろ姿からは、都会の女性が抱いている漠然とした孤独や、寂しさ、不透明な先行きに対する不安が感じとれる。
「都会は彼女を幸せにしているのだろうか」
この写真を見つめていると、そんな意味のない問いかけをしたくなる。

小石川後楽園にて

anotherwork2006-12-02

 小石川後楽園で撮影しているときだった。池の前に置かれたベンチに一人の女性が座って、ぼんやりと池を眺めている。私はその女性が立ち去ってから撮影しようと、しばらくの間待っていた。しかし、その女性は立ち去るどころか、遠くにまたがる池を見つめたままである。仕方なく私は撮影をはじめた。池を眺める人が写りこんでいる方が、ひょっとしたらいい写真になるかもしれない、などと思いながら。
 しかし、シャッターを押しはじめると、今度はその女性がうつむきはじめたのである。
「どうして池を眺めないのだろう? 眺めてくれていたら、いい写真になりそうなのに。」
 私はそんなふうに惜しみつつ、何度かシャッターを切った。

 数日後、そのときの写真が出来上がって、私は驚いた。私がその日、小石川後楽園で撮ったどの写真よりも、女性がうつむいている写真が最も出来がよかったからである。

 女性がうつむいたとき、たしかに「池を眺める人」というモティーフは消えてしまっている。しかしながら、その瞬間、この女性が現在、何かに行きづまり、迷い悩んでいる姿が浮かびあがっている。写真には、そうした女性のやるせないペーソスが全体に漂い、風景に溶け込んだ一人の人間の姿が写っているようだ。

 最近になって、私も「写真とは何だろうか」と考えるようになった。そんなとき、ああでもない、こうでもないと悩みつつ、この一枚の写真を眺めることになる。
「この女性には何があったのだろう。そして、今何を想い、今どんなふうに生きているのだろうか。」

 あれからもうしばらく時が経ったが、この一枚の写真は飽くことなく私を惹きつけ続けている。



大きな写真はこちら

http://blogs.yahoo.co.jp/anotherwork_satoshi/MYBLOG/yblog.html?fid=906964&m=lc

生きる瞬間

anotherwork2006-04-15

写真を撮っていると日常の雑事など忘れてしまう瞬間がある。そんなときは、たとえどんなに厳しい環境であっても頭が真っ白になり、生き生きとした充実感が体の底から湧き上がってくる。そして「生きてる」という実感が体中に駆けめぐっていくのだ。もちろん、そういう体験はそう何度も味わえるものではないのだが、それでも写真を撮っているときには、そんな奇跡ともいえる体験にめぐり合うことがある。


その日、私は雨が降りしきる鎌倉駅の前にいた。休みの日は決まって一人で撮影しに行くのだが、その日だけはと知人から誘われてある撮影会に参加したのだった。撮影会にはNという写真のギャラリーに縁のある人たちが十数人集まり、それからくじを引いて何組かの班に分かれた。私といっしょに撮影することになったのはHさんとMさんだった。二人とも鎌倉へはあまりきたことがなかったので、とりあえず観光地として有名な鶴岡八幡宮へ行くことにした。

雨は最初の頃と変わらず降り続けており、冷たい風が吹き渡っていた。とても楽しく撮影するという雰囲気ではなかったが、それでも私たちはぎこちない会話を交わしながら撮影して歩いた。


鶴岡八幡宮を撮影し終えると、私たちは鎌倉駅へ戻って江ノ島まで行った。そこでもまた激しい雨風が続いていたが、私たち三人はそれでもめげずに、江島神社まで行き、参道をくだった先にあった食堂で食事をした。それから、他の人たちと合流することになっていたが、その時間まで少し時間が余っていた。私たちはとにかくせっかく江ノ島まで来たのだからと店を出たが、この激しい風雨ではどこへ行くというあてもなかった。Hさんが待ち合わせ場所の水族館へ先に行ってみましょうかと言ったが、私はそこですかさず海岸へ行くことを提案した。それまで私は江ノ島を歩いていたときに見かけた海岸と、そこでサーフィンやらヨットをしている人がとても気になっていたのだった。この雨の中、風が強い海岸へ行くことになれば、当然のごとくかなり濡れてしまうので、ちょっとHさんとMさんにはわるく思ったが、私は「撮りたい」という本能的な欲求を抑えることができなかった。

海岸に着くやいなや、私はもうHさんやMさんにはかまわずにずんずん一人海へ近づいていった。そして、沖の方で果敢に荒波に乗ろうとしているサーファーの正面に立ち、望遠レンズを取り出した。フィルムはもうほとんど残っていない。この風雨の中、いちいち交換していることなどできないから、一瞬に賭けるしかないと私は思った。

傘を片手にカメラのファインダーからのぞくと、サーファーの姿がよく見えた。だが、動きが速く、ピントがなかなか合わない。なんとかピントを合わせられても、サーファーが波に乗っているのはほんの数秒間だけだった。私は注意深くサーファーの動きを観察した。すると、彼らが波に乗るタイミングがだんだんとつかめてきた。彼らは後ろを振り向きながらいい波が来るのを待ち、波が来るやいなや大きくジャンプする。ならばその一連の動作を予測しながら、うまく波に乗った瞬間を見計らってシャッターを押せばいい。

ファインダーから、一人のサーファーが背後からやってくる波に乗ろうとしているのが見えた。私はそのサーファーにねらいをさだめ、ピントを合わせた。それが終えるやいなや、そのサーファーはやはり背後からやってくる波に合わせて大きくジャンプした。鮮やかな波しぶきが舞い上がる。「今だ」そう思ってシャッターをきった瞬間、私の目の前は何もかも消えて真っ白になった。そして言いようのない不思議な感覚が私の体をかけめぐった。後ろを振り返ると、Mさんが立っていた。もう行きましょうと言うと、本当にもういいのかとMさんはたずねた。私は無言でうなずいて、少し離れたところで海を撮影していたHさんのところへ歩いていった。

その後、水族館まで行って他のメンバーと合流して撮影をしたのが、その頃にはもう私は疲れはてていた。どうやらあのとき海岸で撮影したときに私は自分の持っている力をすべて使い果たしてしまったらしかった。だが、私は不思議な充実感に満たされていた。写真は出来上がってみなければちゃんと写っているかどうかさえ分からなかったが、それでも私はあの一瞬に全神経を集中させてシャッターをきれたという実感があった。たとえ写真が失敗しても、私には何の後悔もなかった。
                   ☆

帰りの電車に乗る前に、私は撮影会に参加した一人に今日はうまく撮影できたかどうかたずねてみた。その人は首を横に振って、今日は他の人とつながりをつくるために参加したからと言った。私はなるほどそうかとうなずきながら、あのときHさんとMさんを連れて海岸まで撮影に行くべきではなかったと思った。だがすぐに、もしそうすればあの瞬間私が感じたあの生き生きとした感情も決して味わうことができなかっただろうとも思い、複雑な想いにさいなまされるのだった。

哀愁

anotherwork2006-04-06

空き時間に近所にある土手を歩いていたら、一人の老人の姿が目にとまった。ベージュのソフト帽をかぶったその老人は、土手沿いの階段に腰掛けて河川敷で行われている草野球をぼんやりと見つめているようだった。天気がよい日はこんなふうに草野球を観戦している人が多いものだが、その老人の背中はどこか淋しそうでも、哀しそうでもあった。私はそのとき何か言いようもなく胸にせまってくるものを感じて、手にしていたカメラのシャッターを切った。

それから何週間か経ってから私はふとそのときの老人のことを思い出すことがあった。あの老人はなぜあのとき、あの場所にいたのだろう?あのときいったい何を考えていたのだろう?あの老人の背中に自分はなぜあれほどまでに自分を惹きつけたのだろうか?疑問はとめどなく湧き上がってくる。そんな答えのない問いを煎じ詰めて考えてみたところで、何にもならないことは知っているが、それでも私は勝手な想像を繰り返さないわけにはいかなかった。

あの老人は身なりや風貌からして、それほど裕福な暮らしをしてきたわけではないだろう。長い人生の中を一日八時間ほどの、いやもっと多くの時間を労働に身を費やし、せわしい日々を必死に過ごしてきたのではないだろうか。それも結婚してからは子供たちの面倒を見ながら、夫婦共々でささやかな幸福を糧に長い人生をなんとか生き抜いてきた。―――もちろん、私のこんな想像がどこまで合っているかは分からない。もしかしたら、全く見当はずれのことを想像しているのかもしれない。だが、自分の人生を振り返ってみても、人生というものはどちらかというと苦労することの方が多いものだ。そう考えてみると、私のこんな想像もあながち間違っているとはいえまい。

私の想像はさらにふくらむ。あの老人は今たった一人きりで暮らしている。長年つれ添ってきた妻に先立たれ、子供たちはとっくに親元を離れ、それぞれ家庭を持って暮らしている。子供たちには年に数回顔を合わせるが、それ以外で連絡を取り合うことはない。

若い頃からずっと続けていた仕事は退職し、今はその退職金と年金だけを頼りに生活している。長い間、仕事と子育てに追われるような生活だったため、何か我を忘れて熱中できるほどの趣味はなく、そうかといって取り立てて何かやらなければならないこともない。家にこもっていると、どんどん体がなまっていくので、よく晴れた日はなるべく外に出て体を動かすように心がけている。それも特別運動もするというのではなく、ただ家から近所にある土手を歩く程度で、疲れたときは適当な場所をみつけて心ゆくまで休んでみる。どうせ、何かやらなければならないことも、とりたててやりたいこともないのだ。時間はあまるほどある。昔はこんな生活にあこがれていた時期もあったが、今は時間に追われていた毎日が恋しくさえ思う。

よく晴れた温かい春の陽射しを浴びてぼんやりと階段に座っていると、自然と昔のことが思い出されていく。

幼かったときのこと、若く希望に満ちていたときのこと、初めて妻に会ったときのこと、結婚をし初めて子供ができたときのこと、まだ生まれて間もない子供たちのこと、仕事で苦労したこと、家族と過ごした日々のこと……。


私の想像はそこまでである。長い人生を生き抜いてきた人には、もっともっと語りきれない思い出がぎっしりとつまっているかもしれないが、それは私の想像が及ばないところにあるように思える。そして、そんな思い出の一つ一つをふりかえりながら感じることもまた、私の想像を絶したものなのだろう。

後日、できあがった写真をよく見てみると、老人は目の前で行われている草野球を見ているわけではなかった。ただうつろに焦点の合わない風景を眺めているようだった。

私はその老人のことを思い出しては、しょうこりもなくその瞳に何が写っていたのかを考えてみることがある。そしてそのとき老人が感じていたであろう想いをあれこれと想像してみては、その浅はかさを嘆いて深く憂いにまみれたため息を洩らす。